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2007年04月24日

●なぜ、志水住建は“建築や”なの?その⑧

木の世界は本当に奥が深く、携わっているものにとって魅力のあるものでした。
しかしながら、『商売』として考えてみると
材木やというものは、前述しましたように、単純に言えば、丸太を買ってきて
丸いものを四角くして、それを売る。という考えて見れば非常に単純なものです。
それ故逆に、そこに“付加価値”をつけることが難しいのです。

ですから、ちょっと商売上の差別化を考えてみると
「単価を安くして売る。」
「注文から納品までをなるべく短くする」
「大工さんが刻んだ材料を現場まで持っていく」
「同じ単価なら、なるべく良いものを売る」
ざっと考えてこのくらいですか?

配達を迅速にするなどのサービス面には限界があり、自ずと商売の方向は『単価』
に向けられることとなるのです。
しかもそれは、内容如何に関わらず、単純に値段が高いか安いか、という割り切りでした。
実際、「材料の善し悪し」2割、「単価」8割と言った具合にです。

釈然としないものを感じつつも、「これが商売というもの。」という割り切りを
持って、材木やの商売を続けていました。

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(防災システム研究所資料より)


時は1995年、1月。阪神淡路大震災が発生。
激烈な地震が神戸を襲い、多くの尊い命が犠牲になりました。
多くの建物が倒壊。中でも古い木造家屋が見事にやられました。

その頃、勢力を伸ばしつつあった大手ハウスメーカーは、「木造家屋倒壊、しかし
ハウスメーカーの家はほとんどつぶれていない。」という宣伝を怒濤のごとく
始めたのです。
あらゆるメディアを使った宣伝活動に、当然かなうはずもなく、今まで比較的好調
に推移していた業績が一気に下降を始めました。

皆様も良くご存じのように、この大手の宣伝はウソではないけれども、誇大広告
そのものでした。ただその時は、残念ながら、「木造住宅は危ない!」という
風評だけが先行してしまったのです。その事実を学者先生達が認定しはじめたのは
1年以上先になってからでした。

当時業績が下降したのは、もちろん弊社だけでなく、業界全体でした。
何とかしなければならない、とい想いだけはあっても前述の通り、「木造住宅倒壊」
という事実だけが先行する世の中。

そんな中、私も所属していた業界の若手の会からこんな発案が出てきたのです。
「木造住宅がそんなに弱いとは到底思えないが、倒壊したのも事実。そして、家がなくなって
困っているのも事実だ。木造住宅復権、そして何よりも困っている人達のために役立つ事を
みんなで考えよう!」

とても素晴らしい発想だということで、このことは、すぐに具体的な計画に向けて動き出しました。
私達はこの計画を「神戸の家プロジェクト」と名付けました。

具体的方法としては、
津山出身で神戸に家を建てて住んでいた人の家の地盤が崩れ、倒壊した。
当然この人も困っている。みんなで材料を出し合って寄付しよう。
工務店は、製材所もやっている数社で協議して格安で建ててもらう。
ということ。

つまり第一段階として、まずはモデルケースとしてこの家の復興を行う。

第2段階としてこの計画を足がかりにして、「大震災で被災した人には、木材料を格安の卸値で提供
します。」と呼びかける。(もちろん本当に復興に役立てるため)

そして最終段階で、そのことを大々的に宣伝して、マスコミ、特にテレビに取り上げてもらう。

こうすれば、被災者の皆様にもお役に立てるし、木材のすばらしさも分かってもらえる。
それをメディアにのせて全国に発信する。
出来れば某国営放送でやっているようなドキュメンタリータッチのようなのが良いな、
みんなの夢は膨らみました。

この計画を各製材所、市場関係など、この地域の業界全体へに発信。
みんな一様に参加には乗り気になってくれました。
神戸にも何回も足を運んで着々と前に向かって進み始めました。
その頃になると、若手だけでは大変だろう、と業界の重鎮たちも動き始めてくれたのです。

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