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2007年04月25日

●なぜ、志水住建は“建築や”なの?その⑨

ところが・・・・・・・・
今思い出しても何とも嫌な気分になってしまう事件が起こってしまうのです。

上棟日当日、業界の若手、重鎮とも大挙して神戸に集結。
当日は、演出効果もねらって「餅まき」もやる予定にしていました。

事前にマスコミ各社には連絡を入れておいたし、数社の取材があるはず。
もうそろそろ、
もうそろそろ・・・・・・
来るはずの取材が一向に来ないではありませんか。
結局来たのは、小さな新聞社が1社だけ。

「エー何で?」
張り切ってきていたみんなに落胆の色が広がります。
訳の分からないままその日のイベントは終了してしまいました。

直接交渉した者が後日聞いて来たのは
「あなた方が一枚岩となって、業界をあげてこのプロジェクトをやると言うから
取材という話になったんですよ。それがなんですか。取材なんぞしてもらったら
困る。止めないとひどいことになるよ。 なんて言う連絡が入ったんですよ。
全くもって一体お宅らの業界はどうなっているのやら。」
と言うことでした。

私達にしてみても、その話は正に“晴天の霹靂”でした。
一体誰がそんなひどいことを・・・・・
犯人はあいつじゃあないか、と思う者がいても証拠があるわけではありません。
色々と言ってみても今更どうしようもない話でした。


神戸の人達からの問い合わせがあるから、と設置していた事務局には若手が交代
で詰めていたのですが、問い合わせはさっぱり・・・・・・
あんな事があったから、予想していた事とはいえ皆ショックは隠し切れませんでした。

このことには私も個人的に相当ショックを受けました。
このプロジェクトは、材木やも団結していけばこれだけの事が出来る、
ということを世に示す絶好の機会と考えていたし、少し材木やに失望しかけていた
自分に、これから材木やを続けていくパワーを与えてくれるものだと信じていたからです。

神戸の家プロジェクトはこうしてあっけなく終わってしまいました。

私は、今まで材木やを続けてきて、製品の善し悪しではなく単価を最優先する体質
に代表されるような業界のどろどろしたものには、いい加減嫌気がさしていました。
(どこの業界でも内部はこんなものかもしれませんが・・・・)
そこにもってきて、希望から絶望へ。
何とかしなければ、という想いだけが募っていきます。

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